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2010年5月31日月曜日
ミラノのドメニコ会修道院と「最後の晩餐」
「このなかに私を裏切る者がいる」
と穏やかに指摘するキリストと、その言葉に激しく動揺する弟子たち。
この劇的な瞬間の緊迫感を、遠近法を駆使した構図がさらに高める。
この西洋美術史上の傑作『最後の晩餐』は、ミラノ公ルドヴィコ・スフォルツァの依頼で、レオナルド・ダ・ヴィンチがサンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の食堂に描いた壁画で1498年に完成した。
『最後の晩餐』は、戦争、その他の影響による痛みで危機的状況であったが、近年の修復により当初の鮮やかさを取り戻した。
サンタ・マリア・デレ・グラツィエ修道院の聖堂は、15世紀末にゴシック様式でほぼ完成したが、ルドヴィコの命で建築家ブラマンテが改築に着手し、ルネサンス様式のクーボラと後陣が増築された。
2010年5月24日月曜日
ウルル、カタ・ジュター国立公園(オーストラリア)
ウルル、カタ・ジュターともに、オーストラリアの先住民アボリジニの重要な聖地である。アボリジニの創世神話では、【夢の時代】に【偉大な祖先】が、陸地を歩きまわって世界を創造したと説かれている。偉大な祖先が通った道はすべてウルル(【日陰の場所】の意味)で交わっており、仕事を終えた偉大な祖先は、ウルルやカタ・ジュター(【たくさんの頭】の意味)などで休息しているという。神聖な場所は岩絵(最古のものは約1万年前)で飾られ、洞窟では儀式が行われてきた。
ウルル派【エアーズ・ロック】の名で世界的に知られた巨大な1枚岩である。地上部分は周囲9,4km、比高348m、全長3400mに及ぶ。また、ウルルの西約32kmにあるカタ・ジュターは【オルガ山】と呼ばれ、大小36の岩が連なる地域である。最高地点は546mで、ウルルより大きな一枚岩が、浸食・風化によって複数の岩群になったという。
これらの聖地はヨーロッパからの入植者によって先住民から奪われ、1958年には国立公園に指定され、オーストラリア政府の所有となっていた。しかし、アボリジニのアナング族は土地の返還を要求し、法廷闘争の結果、1985年に所有権が彼らに戻され、本来の名【ウルル】でよばれるようになったのである。
約1300km²の国立公園には、オーストラリア内陸部の典型的な半砂漠地帯が広がり、貴重な生態系が見られる。有袋類のアカカンガルーやフクロモグラなどを含む40種の哺乳類、70種の爬虫類、480種の植物が生息している。
ウルルの岩肌は、太陽の光によって七色に変化すると言われる。オーストラリアに旅行に行った際は、ウルルの7色変化、観察してみて下さい@0@
ウルル派【エアーズ・ロック】の名で世界的に知られた巨大な1枚岩である。地上部分は周囲9,4km、比高348m、全長3400mに及ぶ。また、ウルルの西約32kmにあるカタ・ジュターは【オルガ山】と呼ばれ、大小36の岩が連なる地域である。最高地点は546mで、ウルルより大きな一枚岩が、浸食・風化によって複数の岩群になったという。
これらの聖地はヨーロッパからの入植者によって先住民から奪われ、1958年には国立公園に指定され、オーストラリア政府の所有となっていた。しかし、アボリジニのアナング族は土地の返還を要求し、法廷闘争の結果、1985年に所有権が彼らに戻され、本来の名【ウルル】でよばれるようになったのである。
約1300km²の国立公園には、オーストラリア内陸部の典型的な半砂漠地帯が広がり、貴重な生態系が見られる。有袋類のアカカンガルーやフクロモグラなどを含む40種の哺乳類、70種の爬虫類、480種の植物が生息している。
ウルルの岩肌は、太陽の光によって七色に変化すると言われる。オーストラリアに旅行に行った際は、ウルルの7色変化、観察してみて下さい@0@
2010年5月17日月曜日
黄龍(中国)
黄龍は、石灰岩の層が浸食されてできた大小の池(約3400個)が、傾斜に沿って段々畑のように連なる渓谷で、国の風景区に指定されている名勝。崑崙(コンロン)山脈の東端部を構成する岷山(ビンザン)山脈の主峰【雪宝頂(セッポウチョウ)】(5588m)の麓に広がり、標高3000m以上の高地に位置している。
黄龍は『黄龍溝』『牟尼溝(ムニコウ)』『雪宝頂』『丹雲峡』『紅星岩』『四溝』の6つの風景区からなり、総面積は1340km2に及ぶ。このうち黄龍溝と牟尼溝が世界遺産の中心をなす。黄龍溝は雪宝頂の東麓に位置し、地名の由来となっている明時代創建の黄龍寺がある。寺の背後にある五彩池は、連なる池が沈殿物や光の加減で様々な色に見える神秘的な場所。牟尼溝には中国一と言われる落差93,2mの滝、【紮嘎瀑布(サツカツバクフ)】がある。
黄龍は『黄龍溝』『牟尼溝(ムニコウ)』『雪宝頂』『丹雲峡』『紅星岩』『四溝』の6つの風景区からなり、総面積は1340km2に及ぶ。このうち黄龍溝と牟尼溝が世界遺産の中心をなす。黄龍溝は雪宝頂の東麓に位置し、地名の由来となっている明時代創建の黄龍寺がある。寺の背後にある五彩池は、連なる池が沈殿物や光の加減で様々な色に見える神秘的な場所。牟尼溝には中国一と言われる落差93,2mの滝、【紮嘎瀑布(サツカツバクフ)】がある。
2010年5月10日月曜日
古都トレド(スペイン)
標高3500mの花崗岩の大地に築かれた都市トレドは、三方がタホ川に囲まれた天然の要塞です。トレドの町を抱くように蛇行するタホ川は、外敵の侵入を防ぐため、川を渡る橋は二つしかなかった。
560年には西ゴート王国の首都となり、その後イスラム教徒の侵攻とレコンキスタ(国土回復運動)を経て、カトリック・スペインの王都として繁栄した。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共存し、13世紀にアルフォンソ10世が設けた翻訳学校では、アラビヤ語やヘブライ語の古典が紹介されるなど、学芸の中心地としても知られた。1561年、都はマドリードに移り、ドレドは政治的、経済的重要性を失った。しかし文化と宗教については重きをなし、現在もそれは変わらないという。
町の歴史的建造物には大聖堂やアルカサル(王宮)などがある。約270年かけ1493年に完成した大聖堂は、ゴシック様式の大建築で内部は荘厳に飾られた。特に中央礼拝堂大祭壇背後の聖餐用祭壇【トラスパレンテ(ナルシソ・トメー作)】が目を引く。アルカサルは16世紀前半に要塞を宮殿へと改装した王宮である。
またトレドは、ギリシア人画家エル・グレコが活躍した地である。キリスト教世界を独特の形態と色彩で描いた彼の作品は、大聖堂やサンタ・クルス美術館で見る事ができる。
560年には西ゴート王国の首都となり、その後イスラム教徒の侵攻とレコンキスタ(国土回復運動)を経て、カトリック・スペインの王都として繁栄した。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒が共存し、13世紀にアルフォンソ10世が設けた翻訳学校では、アラビヤ語やヘブライ語の古典が紹介されるなど、学芸の中心地としても知られた。1561年、都はマドリードに移り、ドレドは政治的、経済的重要性を失った。しかし文化と宗教については重きをなし、現在もそれは変わらないという。
町の歴史的建造物には大聖堂やアルカサル(王宮)などがある。約270年かけ1493年に完成した大聖堂は、ゴシック様式の大建築で内部は荘厳に飾られた。特に中央礼拝堂大祭壇背後の聖餐用祭壇【トラスパレンテ(ナルシソ・トメー作)】が目を引く。アルカサルは16世紀前半に要塞を宮殿へと改装した王宮である。
またトレドは、ギリシア人画家エル・グレコが活躍した地である。キリスト教世界を独特の形態と色彩で描いた彼の作品は、大聖堂やサンタ・クルス美術館で見る事ができる。
2010年5月3日月曜日
シェーンブル宮殿と庭園(オーストリア)
シェーンブル宮殿が建つ一帯は、16世紀後半からハプスブルク家の狩猟場であった。17世紀末、レオポルト1世は離宮の造営を建築家フィッシャー・フォン・エアラッハに命じた。バロック様式の宮殿は1700年に完成したが、予算不足で規模が縮小された。1740年、マリア・テレジアはこの離宮を居城と定め、建築家パカッシに大規模な増改築を命じた。離宮は18世紀半ばに大宮殿に生まれ変わり、私生活の場として居住性が重要された内部空間は優美なロココ様式で統一された。宮殿の南側に広がる庭園も大改造され、花壇や噴水、植え込みなどが幾何学的に配され、背後の森も組み入れた庭園が出来上がった。黄色い壁面は【マリア・テレジア・イエロー】と呼ばれ、建物の華麗な印象を引き立てている。
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