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2010年3月29日月曜日

万里の長城(中国)

万里の長城は、東は河北省北東部の渤海湾に臨む山海関から、西は甘粛省西部の嘉峪関まで、険しい山脈や大河、渓谷を超えて築かれた世界最長、最大規模の城壁である。中国では、古くから北方の異民族などに備えて、烽火台や防御壁が各地で造られた。春秋時代の【斉】が起源で戦国時代には、それぞれの国が個別に防御壁を築いている。
紀元前221年、中国を統一した【秦】の始皇帝は、北方の遊牧民【匈奴】への防衛を強化する為、戦国時代につくられた長城を修築連結し、西は現在の甘粛省東部に至る長城を完成させた。これが万里の長城の原型である。その後、【漢】の武帝がさらに西方へ拡張し、歴代王朝も修造、増築を繰り返した。
現存する長城は主に【明】代に築かれたもので、東の山海関から西の嘉峪関まで、主要部分だけで約3000km、二重三重になっている部分や分岐行路を含めた全長は6000kmにも及ぶ。城壁の高さは平均7,8m、頂部の幅は約4,5mで、要所要所には2,3層の望楼をもつ関城(防衛拠点)や、武器弾薬個を兼ねた敵台(見張り所)、襲来した外敵の規模を狼煙を上げて知らせる烽火台が置かれた。
関城では、長城の東端にあ『天下第一関』と呼ばれる山海関、急峻な山々の尾根に築かれた金山嶺、北京からモンゴル、西域へ通ずる交通の要所となった居庸関、長城の西端にある砂漠の中にある砦、嘉峪関などが有名である。

2010年3月24日水曜日

キリマンジャロ国立公園(タンザニア)

標高5895mを誇るアフリカ大陸最高峰の火山キリマンジャロ(スワヒリ語で「輝ける山」の意)を中心とする総面積753km3の国立公園である。標高によって環境が異なり、3000m付近までは熱帯雨林、3000m以上になると、ヒース(低木に覆われた荒れ地)や草原に、4000mになると火山礫や砂の荒れ地、4500mを超えると氷河が現れる。ドイツ人伝道師レープマンにより、1848年から欧州に知られるようになった。その後、1889年にドイツ人のマイヤーらが初登頂に成功。日本人の初登頂は1958年、早稲田大学の遠征隊が記録した。ヘミングウェイの小説『キリマンジャロの雪』の影響もあり知名度は高まった。
キリマンジャロの主峰であるキボ峰の山頂付近には、いくつかの氷河が残る。

2010年3月18日木曜日

フィレンツエ歴史地区(イタリア)

古代ローマに起源をもち、12世紀に自治都市を宣言したフィレンツエは、14世紀前半、毛織物業や金融業が栄えて人口12万人の大都市に成長した。そこに現れたが、父の興したメディチ銀行を巨大なものに育て上げたコジモ・イル・ヴェッキオで、彼は巨万の富をバックに市政を支配すると同時に学芸の振興にも力を尽くし、のちに【祖国の父】と呼ばれた。コジモの孫ロレンツォ豪華王は早くから英才教育を受け、わずか17歳でフィレンツエ市政を事実上支配した。彼は辣腕の政治家で、外交面でもイタリア諸国間の勢力均衡の維持に努めた。自ら詩人でもあったロレンツオは、人文主義者や芸術家と親しく交わり、学芸を熱心に保護した。メディチ家によるフィレンツエ支配は18世紀まで続き、その間フィレンツエは都市国家として大いに繁栄した。今も町には、堂々たる威容を誇るサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(写真)やメディチ家の収集した美術品を展示するウフィツイ美術館、メディチ家の教区聖堂だったサン・ロレンツオ聖堂など、歴史的建造物が多く残る。イタリア・ルネサンスを象徴するドームを頂いたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、町の中心というだけでなく市民の精神的中心でもある。つい数年前、そんな歴史的建造物であり、市民の精神的中心でもある建物に落書きをした日本人がいましたが、恥ずべき行為である事は間違いありません。

2010年3月13日土曜日

石窟庵と仏国寺(韓国)

慶尚北道慶州市、吐含山の山頂近くにある石窟庵は、仏国寺とともに、統一新羅の宰相であった金大城によって造営された。751年、金大城は前世の父母のために石仏寺(石窟庵)を、現世の父母の為に仏国寺の建立を開始したと言われている。石窟庵は1909年に郵便配達員によって偶然発見された。インドや中国の石窟寺院のように自然の岩壁に穿(うが)たれたものではなく、花崗岩を積み上げた人口窟で、建築、造像とともに緻密な幾何学的計算に基づいて造られた。方形の前室と円形の主室からなり、主室の中央には約1,8mの台座上に像高3,45mの如来像が安座する。窟内には38の尊像が浮彫で施され、新羅の仏教芸術の頂点に立つ傑作と言われる。

2010年3月11日木曜日

モシ・オア・トゥンヤ(ザンビア、ジンバブエ)

モシ・オア・トゥンヤは、アンゴラ奥地を水源としてインド洋へ流れ込む、アフリカ第4の大河ザンベジ川の中流域にある。南米のイグアスの滝、北米のナイアガラの滝と並んで世界三大瀑布の一つに数えられ、ジンバブエとザンビアの国境にまたがる大瀑布である。
モシ・オア・トゥンヤとは、マコロロ族の言葉で「雷鳴の轟く水煙」を意味する。滝幅は最大で1700m以上、落差は110m~150m。その呼び名の通り、すさまじい轟音を鳴り響かせ、水煙を天空高く立ち昇らせる。雨期の終わりには、毎分最大30万m3もの水が流れ落ちるという。流水は常に岩盤を侵食し続け、滝は川上に後退し続けている。現在の滝は、当初の滝の約80kmも上流に位置している。
イギリス人探検家リヴィングストンがこの滝を発見したのは1855年、当時世界に君臨していた母国の女王にちなんで『ヴィクトリアの滝』と命名し、やがてこの秘境の大瀑布は西欧諸国に知られるようになった。

2010年3月5日金曜日

自由の女神像(アメリカ合衆国)

正式名称は【世界を照らす自由】。アメリカ合衆国の独立100年を祝い、フランスから贈られた世界で最も有名な銅像である。像の制作は1874年、パリで開始された。発案し、フランス国民に募金を呼びかけたのは法学者エドワール・ド・ラブレー、製作者は彫刻家フレデリック・オーギュスト・バルトルディ、構造設計は、橋梁建造家のギュスターブ・エッフェルである。10年の歳月をかけ、1884年に完成した女神像は214個に分解され、フランスからニューヨークへと運ばれた。台座はアメリカ市民の負担とされ、新聞王ジョセフ・ピュリッツァーが全米に献金を募った。呼びかけは成功して台座は完成し、1886年10月に除幕式が行われた。巨大な女神像は星形の土台の上に立ち、像高46m(台座高47m)、総重量約225t、左手には独立宣言を記した鉄板を持ち、右手には希望を意味する松明を掲げる。踏みつけている足枷は、奴隷政治と独裁政治を象徴し、宝冠の突起は、7つの大陸と7つの海に広がる自由を示す。