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2010年3月18日木曜日

フィレンツエ歴史地区(イタリア)

古代ローマに起源をもち、12世紀に自治都市を宣言したフィレンツエは、14世紀前半、毛織物業や金融業が栄えて人口12万人の大都市に成長した。そこに現れたが、父の興したメディチ銀行を巨大なものに育て上げたコジモ・イル・ヴェッキオで、彼は巨万の富をバックに市政を支配すると同時に学芸の振興にも力を尽くし、のちに【祖国の父】と呼ばれた。コジモの孫ロレンツォ豪華王は早くから英才教育を受け、わずか17歳でフィレンツエ市政を事実上支配した。彼は辣腕の政治家で、外交面でもイタリア諸国間の勢力均衡の維持に努めた。自ら詩人でもあったロレンツオは、人文主義者や芸術家と親しく交わり、学芸を熱心に保護した。メディチ家によるフィレンツエ支配は18世紀まで続き、その間フィレンツエは都市国家として大いに繁栄した。今も町には、堂々たる威容を誇るサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(写真)やメディチ家の収集した美術品を展示するウフィツイ美術館、メディチ家の教区聖堂だったサン・ロレンツオ聖堂など、歴史的建造物が多く残る。イタリア・ルネサンスを象徴するドームを頂いたサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂は、町の中心というだけでなく市民の精神的中心でもある。つい数年前、そんな歴史的建造物であり、市民の精神的中心でもある建物に落書きをした日本人がいましたが、恥ずべき行為である事は間違いありません。

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